豊橋子育ち講座12月

今日の講座はお休みが多く、参加人数は5人。こじんまりとしてまたいい感じ。まずはある人から頂いた冊子を読みました。
内容は……ある人が子どもの頃、父親と母親はお互いの事を、子どもの前では決して悪く言わない。あと欲しいものは自分で作るように言われていた。でも、作れないものもある。友達にハーモニカを借りて吹いていて、父親にハーモニカが欲しいと頼んだら、榊の葉っぱを取って渡された。「これを吹いてみろ」と。やってみるけど吹けない。「こんなの吹けない」と言うと、父親は「おれは吹けるぞ。お前がふけないのはやらないからだ」と。学校の帰りに草を取って練習するが、出来ないので3日でやめた。その日父親が聞いた。「吹けるようになったか」と。「出来ないからやめた」「それを3日坊主と言うんだ。やる事は誰にでも出来る。だから、諦めず辛抱して続ける、辛抱の木をたてることが大事。お前は諦めて辛抱の木をたてれなかった。悔しかったら吹けるようなれ」本当に悔しかった。また学校の帰りに練習。ある日、ピーとなり練習するうち、メロディもつけれるように。父親に喜んで報告すると、「自分一人でやったと思うな。世間の皆さんのおかげ。感謝の気持ちを忘れるな」と。次の日起きたら枕元にハーモニカが。喜んで「とーちゃん、ハーモニカ買ってくれたんだね」「お前は辛抱の木を立てた。木に花が咲くのは当たり前だ」と。母親にハーモニカの事を報告しにいったら、「とーちゃんは10日も前に買っていたよ。とーちゃんはお前はきっとやれる子だと信じていたよ」と。昔の人はハーモニカ一つ与えるにも子どもの事を思ってやっていた ……これを聞いてどう思ったか、を出し合いました。
「やっぱり夫婦仲良くが前提にあるよね。まずはそこからやってみようかな」、という意見や、「辛抱の木ってうまいこというなぁ〜、覚えておこう」という人もいたり、「悔しいと思うって言うことは、それまでにしっかりと育てられてきたんじゃないかな?悔しいって思えるのがいい。」「そうだよね。ハーモニカの事はひとこまの事だけど、その前があるからこそ生きてくるよね。」あるお母さんは、「ついこのまえ、バレーを習っている娘が先生に上げている足が曲がっていると言われた。本人はまっすぐ上げているつもりだけど、やっぱり曲がっていると先生に言われる。でも、本人は曲がってないと言って聞かない。母は「先生にまっすぐになってると言わせるくらい、まっすぐにしてみたら」と声をかけたがそれっきり。辛抱が足りないと見えたみたい。他のお母さんは子どもが「ぼく出来ない」とすぐ諦めてしまうと。「それはどんなとき?」「やるように迫った時だった」、という例も。
そして、“足りなさで育つ”を改めてみんなで出しあいました。まずは、「足りなさで育つはみんな賛成?」頷き、「じゃあ、足りなさってどんな感じ?」「ん〜講座のちょっと前になると、あっ、足りなさとかやってない、と思い出して気をつけるようにしている。」とか、「上の子には足りなさを気をつけて用意出来ることもあるけど、2人目は用意したいと思っているけど、抱っこと言われたら抱っこしないよといいながら、つい抱っこしたり、来てと言われて、おいでと言っておきながら、いっちゃったり、足りなさ用意したいと思ってるんだけど、聞きたくなっちゃう」、という人とか、「子どもがスーパーでお菓子買ってと言って、明日にしようね」と言って、「うん」と子どもがいうけど、いつも買わないで明日ねと言ってばかりいるからか、「大人はすぐ忘れる」と子どもはいう。不満が残っているのではないかと、心配しているお母さんも。うちはお菓子買わないよと言ったり、兄弟ケンカしてて泣いたりしているのをみて、どんな風に乗り越えるかな?と口を出さずに見守っている、乗り越える姿を楽しみにみているなどなど、それぞれの足りなさを日々実行しているようでした。それぞれの足りなさを通してそれぞれの中から湧いてくるものをみて、今、それぞれがどういう状態かを、見合っていきたいって思った1日でした。

ペンネーム……rieママ
今日はいろいろありすぎてまだモヤモヤしてます。足りなさではやってみたり忘れてたりの繰り返しかな〜。でも私の中では少しずつ頑張ってる感じ。やってあげたい気持ちをぐっと堪えてるかな…。どんな子に育って欲しいかをいつも忘れないでいないと!

ペンネーム…ちぃママ
日頃の自分を出す事で、今、どんな感じか、これからはどうしていこうかとか、考えれました。みんなの中に出すことで、また一歩進める気がします。お互いの気持ちを出しあって、仲良ししていきたいです。