奈良子育ちセミナー

今回は、最近欠かさず来ているメンバーと、はれはれ保育のお母さんをしてくれている熟年お母さんとでせみなーやりました!(*^_^*)
「母ちゃんやって〜」と言ってきて着替えの時が大変だと思った。ちょっとした「母ちゃんやって〜」を「はい!」ってやっていたから、ちっちゃいのを何回も重ねたら大変なのが来る?と思った。「母ちゃんやって〜」という時は、「自分でやってみな〜」とやってみた。1時間半くらい泣いていたけど、泣きながらも自分でやっていてそこからは、あと二日くらい泣きながらやっていたけど、今では「手伝って〜」くらいでやれるようになってきた。
やってみたけど、それはどうだかわかりませんが〜
みんなとイチゴ狩りに出かけた日に、お母さんでお話しして、子どもは外で遊ぶという時に、うちの子はしばらく遊んだらお母さんたちの所へ来て、「つまんない。」とそばにいてました。お母さんに言ってくるわけでも無いけど、何かお母さんに言って欲しそうにしていたし、私も気になって話に集中できなかった。他の子は顔見知りだけど、うちの子ははいれないのかなあ?という場面がありました〜大抵は、一人になるって事が無いんじゃないかな?と思っているから、あんな場面は初めてだったかも?
その場面を見ていたお母さんは〜
何かしてあげたくなってしまうけど、どうしようかな?という場面はあってもいいんじゃないかな?他の子が顔見知りだとかいうのは、あんまり関係ないかもね〜
今日は、「どんなお母さんになりたいか」で考えました。
○楽しめるお母さん
○自由なお母さん
○たくましいお母さん
○やわらかいお母さん
○聴けるお母さん
など・・・・・
なんかどんな子に育って欲しいかと、重なる気がする〜
それで、実際今はどんなお母さん?子どもから見たらどんなお母さんだろう?
なりたいというのはでてくるけれど、実際となるとなかなか出てこない。
子どもにもっと言って来て欲しい〜とか気持ちでは思うけど、子どもにいろいろ言いすぎて嫌われているかも〜
ガンで闘病中のママさんの話も跳び出しました。
弟のお嫁さんなんだけど、弟やお嫁さんのお姉さんとかは、あと少しの命ってなったらどうしていいかわからなくなってるの。私も悲しいけど、それは置いて今、弟のお嫁さんにしてあげられることって考えるようにしてる。動ける間は、旦那さんにご飯を作ってあげたいと、その人はとっても明るいよ。でも、怖い気持ちはあると思うしたくさん考えるし。死ぬことが目の前にある人はきっと想像もつかないいろんな気持ちがあると思うけどね。
結構、子どもを見ているつもりでも、自分の心の状態で子どもの見え方が変わるんじゃない?
心が忙しかったらそっからしか見えないし、怒った気持ちだったり、悲しい気持ちだったり。
やってみて
Tママ、よくわからない。
sママ、当たり前に生きているけど、実は死ぬことと生きることは隣り合わせなんだな〜と思った。生きることは凄いことなんだな〜
kママ、我が子の事となると、私は思い入れが強くなってしまうけど、心の状態をよく見て大事にしていきたい。