松阪子育ち講座12月

三歳児の「何かにつけてイヤと言う」「五月蝿いと言う」「勝手にご飯を食べるなどの行動」などの最近の報告を受けて、12月は「子どものわがまま」について考えてみることに。

しかし、それは本当にわがままなのだろうか?子どもは自分のしたいことをしているだけで、母の捉え方でわがままに見えているのではないのだろうか?

どんな子に育ってほしいかを話す中で、自分で考えて(言えて)行動できる子に加えて、人(大人)の話が聴ける子であったらいいなということに。

また、母は子どものイヤなきもちを聴いているのか?
イヤと言っている子どもへの対処法に意識がいって、その事柄に捕われてしまっている。
子どもは何を伝えたいのか? 子どもに何を伝えたかったのか?
頭で考えて自分の常識で物事を決めつけていないか?

あるママが、以前、保育の仕事をしていた時、1年目、泣かしたらいけないと思っていたら、子どもがいっぱいまとわりついて泣いて大変だった。2年目、子どもは泣くものなのだと落ち着いて接したら、子どもも落ち着いたというエピソード。

やはり、問題は子どもではなく、大人の意識、捉え方の問題なのではないかと。

子どもは大人に色んなことを教えてくれる存在であり、見える現象は病気、泣くなど色々だけど、大人が気づくまでこれでもかとアピールしてくる。
大人が気づいたら、子どもがアピールする必要もなく、大人に見える現象も変わってくる。

目に見える現象(事柄)に捕われて困らないで、事実を見る。
子どもの顔を見て、子どもの気持ちを受け止めて、してほしいことをきちんと伝える。

そして、子どもが人(大人)の話が聴けるようにするには、もっと根本的なところで、大人が大人としてきちんと線引きして、子どもへ接していく工夫も要るのだろうなとも。

今月は託児スタッフがご都合で来て貰えないという足りなさの中で、「自分たちでやってみる」という課題もあった。
いつもして貰っていることが当たり前になっていることに気づく機会と、改めてその存在への感謝する想い。
いつも傍に居てくれる心地よい存在が居なくなる足りなさ。

今月で2回目参加のママ、託児を通して子どもはどんなことを感じているかな。

2回目参加のママの感想
「普段考えもしないお題だけど、この先もこうやって考えていけたら、自分でも考えていけるようになるかなぁ」

今年はこれで最後。来年も一緒に育ち合っていきましょう。